いい夢みてね

『いい夢見ろよ』は、古くは、『8時だよ全員集合』の最後で加藤茶さんが言っていた台詞。今では、柳沢慎吾さんが、コントの最後に言うフレーズです…たぶん幸せって『いい夢を見る』ような心理状態にあることではないでしょうか?あなたと私が、そうなれるような話題を探して行きたいと思います.

怒らないこと2―役立つ役立つ初期仏教法話

 

怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)

怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)

 

 

・なにかをやろうとするときには、欲でするのも、怒りでするのもだめなのです。必要なのは、喜びを感じることです。喜びこそが「生きることは苦」という現実を緩和してくれます。
> 勉強はできれば怠けたいけど、やらなくてはいけない。だから奮い立たせる。ライバルをつくってその人を「軽視」して「俺の方がすごい」と思ったりします。このやり方では、結局うまくはいきません。「ライバルに勝ちたい」だけで「勉強したい」という気持ちは無いから…。~
 アルボムッレ・スマナサーラ長老は、私たちの心が「怒ること」によって蝕まれることの恐ろしさを繰り返し突き付けてきます。長老の眼には、それだけ私たちの築き上げた社会が、自分だけが幸せになりたいという、怒りのエネルギー突き動かされているように見えるのでしょう。

 人には、「誰かの役に立っている」という実感が必要です。小さなことでも、「私はけっこう役に立っているんだ」と思えれば、楽に生きられます。なにかしらできることはありますから、それをしっかりとやればいいのです。~
 長老は、仰います。「生きることは苦」です。そして「それでも苦は嫌だ」というのが生きるシステムです。しかしながら、一切のものごとは無常で、けっして一瞬たりとも同じではありません。「それなら、しがみついたって価値がないだろう」と諦めて、無執着の心が生まれるのです。それを仏教は「覚り」と呼びます。

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人生をシンプルにする 禅の言葉

 

人生をシンプルにする 禅の言葉 (だいわ文庫)

人生をシンプルにする 禅の言葉 (だいわ文庫)

 

 

弱い人が生き延びるために必要なのは、共同体なんですよね。個人の利益を最大化することに拘ると、助け合うという気持ちがなくなりますが、誰もが困った時こそ、助け合う気持ちが必要になるのですから…
この社会の中で、いかにして幸せを実感すればいいのか、それは、自分がしていることが、きっと世の中の役に立っている、誰かに必要とされているのだと信じることです。どんな小さなことでもかまいません。たった一人の人に対してでもいいのです。
 どのような境遇に置かれていても、幸福感を感じられない人がいます。そのような人は、自分自身が満足できないだけではなく、周囲の人から幸福感を搾取してしまうのではないでしょうか。幸福そうに見える他者を羨んだり妬んだりしないで、人生の中で自分が幸せになるために必要なモノやコトを見詰め直し、生活をミニマルでシンプルにすることが大切です。

歳をとって、人間関係が、家族や親族だけになってしまうと、自分がしていることが世の中と繋がっているという実感が得にくくなってしまう。そうなっても、評論家的にならず、当事者意識を失わないようにしたい。
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仏教は心の科学

 

仏教は心の科学  (宝島社文庫)

仏教は心の科学 (宝島社文庫)

 

 

 やっかいな問題のほとんどは自分と他人を比べることから生まれる苦しみです。幸福が消えてしまうのです。だから仏教は他人と比べることをやめて、心を混乱させずに、落ち着いて行動することを推薦しているのです。
 お釈迦さまは「一切は苦(ドゥッカ)である」と発見なさいました。快楽を得ようと努力しても、結局、残るのは「もっと欲しい」という気持ち、不満だけです。そういうわけで、お釈迦さまは、「欲望が消えた状態は幸福だ」と言うのです。~
 だから、欲望を追求しても幸せは続かない、それはムダな努力で、むしろ欲望を消すことが幸せになる最短距離だ、と言われても簡単には納得できないし、むしろ納得したくない、という人の方が多いでしょう。でも、欲しいものを少しだけ遠ざけてみると、それが無くても困らないし、不幸でもないことが分かります。

 心の働きは、コントロールできる意識的なものと、どうにも手に負えない、手の施しようのない無意識のものがあります。コントロールできる意識の働きを、自分の幸福の方に管理しておけば、それで人間は幸福になれます。ヴィバッサーナー瞑想は、コントロールできることを頭の中で言葉で実況中継しながら、ゆっくり行うのです。

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怒らないこと―役立つ初期仏教法話

 

 

・導師の言葉は、必ず響く時がやってきますので、いつも傍らに置いておきたい本です。人生の節目で読み返すことによって、自分自身がどこに向かって生きているのか、問い直す切っ掛けにしたいと思います。
 アルボムッレ・スマナサ―ラ長老は、仰います。 人間というものは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っています。 「私は完全に正しい。完全だ。完璧だ。あいての方が悪いんだ」と思うから、怒るのです。 

 これらの言葉を意識しているひとはいないと思いますが、自分の思い通りにならない時、人は怒りの感情が込み上げてくるわけですから、意識していなくても潜在意識では「自分は正しい。相手は間違っている。相手の方が悪いんだ」と思っているわけです。

 そして、我々がこの世の中で落ち着いて生きられる秘訣は、 「自分は完全ではないし、他人にもけっして完全な結果を求めない」 私も、他人も、誰も完全ではない「完璧にうまくいく」ということはあり得ないと知ることなのです。

 長老は「怒りが生まれると同時に、怒りは自分を壊し、自然を破壊し、挙句の果てに他人の幸福まで奪います」と仰います。私たちは、幸せに暮らすために生きているはずです。ですから、この本の教えを学び、怒りの感情をコントロールできるようになりたいものです。

 私たちは誰もが、自分の人生が「まんざらではないよね(・・?」と確認し続けなければならない存在なのではないかと思います。そして、その過程では、どうしても、自分と他者との比較が必要になってきます。自分の価値観・行動原則という物差しを自分と相手に押し付ければ、自分は正しくて、相手は間違っている、という結論になりがちであることは、当たり前のことだと思います。だからこそ、私たちは、できるだけ客観的に物事を判断しなければならないのでしょう。

 私たちが誰でも、心の底では「自分が完全ではないこと、相手も完全ではないこと」を知っています。でも、そんな自分には甘くなり、相手には厳しく完全を求めてしまいがちです。自分も相手も「自分自身を最もかわいがってしまいがちな人間である」ことを思い出し、自分にも相手にも少しゆるい物差しを当てるようにすれば、苛立ちがちな世界は、清々しい世界に少しずつ変わるかもしれません。

 仏教への知識が増えたところで読むと、導師が仰ることの意味が良く分かります。平易な言葉で書かれてはいますが、そういう意味では、まさに間口が広く奥が深いのだと思います。私たちは、自分を蔑ろにされたと感じた時、ついつい相手に怒りを向けることによって、損なわれたプライドを取り戻そうとしてしまいがちですが、実は、その行為が自分という人間を自分自身で貶めることになってしまっているのです。

 導師の言葉は、必ず響く時がやってきますので、いつも傍らに置いておきたい本です。人生の節目で読み返すことによって、自分自身がどこに向かって生きているのか、問い直す切っ掛けにしたいと思います。

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沈黙入門

 

沈黙入門 (幻冬舎文庫)

沈黙入門 (幻冬舎文庫)

 

 

・思い通りにならないことって、結局、相手のせいではなくて、自分の期待が大きすぎるってことなのかもしれませんね。苛立ちを静めるためには、自分に対してどこまで客観的になれるかにかかっているのかも(/・?
 この『沈黙入門』は、小池龍之介さんが、放蕩生活ゆえに大学を二留していたころから、修行をぽつぽつと始め、何とか卒業して「イエデカフェ」を営んでいたころの間に「家出空間」というウェブサイトに書き続けていたいたもの、とのことです。おそらく、自意識過剰であったために、様々な"上手く行かないこと"に出会い、挫折を経験し、その状態から立ち直るために、その時の自分を客観的に見詰めることを通して課題を発見し、師から教えを乞うのではなく、自分自身の力で仏道に接近し開眼していった過程の記述とも言えるのではないかと思いました。

 小池龍之介さんの経歴は、何となく知っていたんですけど、このデビュー作?を読むと、まだ何かに抑圧されている結果としての『沈黙入門』があり、ほころびからもれてくる「うめき声」のように聞こえなくもありません。やはり、自分の在り方は、自分自身で見つけなければならないのだと、改めて思いました。

 確かに、欲望は、求めれば求めるほど、満たせたとしても満たせるほど、肥大化し、自分でもコントロールできなくなるものなのかもしれませんね。ゴーンさんもそうだったのかな(・・?

 ある意味、教育とか、ビジネス、政治など、人の活動というものは、自分が納得した主義・主張を相手に押し付けていくことだとも言えるので、小池龍之介さんが仰るところの仏道とは、方法性が違うものなのかもしれませんが、人類が良かれと思って邁進してきた活動が、一方では戦争や地球の資源をむさぼることに繋がっているとも言えるので、さて、どうしたものなのか?

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おだやかに、シンプルに生きる

 

 

おだやかに、シンプルに生きる (PHP文庫)

おだやかに、シンプルに生きる (PHP文庫)

 

 

・おだやかに、シンプルに生きる。誰にとっても、人生の終盤は、その方が、良いのでは?
 結果が出なくても、失敗したとしても、努力が無駄になることなど人生にはありません。必ずいつの日にか、その努力が自分の助けになることがあります。自分自身の人生が豊かになるということです。人生とは、淡々とした小さな努力によって善きものになっていくのです。

 できるだけ少ないリソースで、できるだけ大きなリターンを得ようと「あくせく」すると、短期的な利益は得られても、持続する幸せには繋がり難いような気がしていました。ビジネスではスピードが大切だと言われますが、これからは、一つひとつ丁寧に仕事をしていきたいなぁ~と

 成果を最優先してしまうと、相手の気持ちの変化に気がつかないこともあるのではないかと思います。もしかしたら、目先の成約を掴むよりも、相手の気持ちを掴む方が、末永いお付き合いに繋がる可能性が高いのでは、そんな思いを抱きながら読み進めておりました。

 ニュースを観ていると、ちょっとしたことが「きっかけ」で、Actionを起こしてしまう人が増え、それが大きな事件に繋がっているような気がします。それだけ、利害関係の中では、自分を抑圧しなければならない人が多いのでしょう。ストレスを自分の中で増幅しないようにしたいものですね。

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しない生活

 

 

・一番強い欲は、自我だったんですね^^; そう言われてみると、ちっぽけな自分を少しでも大きく見せようと懸命に背伸びしている自分がいるんですけど、直ぐふくらはぎがつって、踵をついてしまうんですよね…
 先に読んだ、アルボムッレ・スマナサーラ氏の『ブッダが教える 執着の捨て方 (だいわ文庫 B 176-4)』に書かれていた内容と似ている。小池龍之介さんも、頻繁にブッダの言葉を引用していますが、ルーツは一緒なんでしょうね。もしかしたら、アルボムッレ・スマナサーラ氏の著書も、読んでいらっしゃるかもしれませんね。

 アイタタ―とか、ガーンとか、ご住職としては相応しくない言葉が使われているので、変だなぁ~と思っていたのですが、ウィキペディアで調べてみたら、小池龍之介さんは『坊主失格(2016)』という本で「物心ついたときから、いつも淋しく満たされず、多くの人を傷つけてきました」と告白されてるような経験があるみたいですね。だから、この本に書かれていることは、師が弟子に灌頂を与えるような語り口でなく、同じ尊厳を持つ人間同士の対話のように対等な感じがするのでしょう。読者は、失敗談に支えられた煩悩を静める方法に納得するのです。

 普通、欲って言ったら、物欲だと思ったら、一番強い欲は、自我だったんですね^^; そう言われてみると、ちっぽけな自分を少しでも大きく見せようと懸命に背伸びしている自分がいるんですけど、直ぐふくらはぎがつって、踵をついてしまうんですよね…

 高野山の宿坊でいただいた精進料理は、とても美味しかったのですが、人間は、動物性のたんぱく質を摂らないと、やっぱり体調を崩してしまう人ですかね?だとしたら、僧侶らしく戒律を守って生きることは、とても大変なことですね(^^ゞ



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