ブッダが教える 執着の捨て方
ブッダが教える 執着の捨て方 (だいわ文庫 B 176-4)
- 作者: アルボムッレ・スマナサーラ
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/10/12
- メディア: 文庫
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・自分を苦しめていることの一つが、自分の意見に拘る自尊心であるということに気がつくと、自分の意見と他者の意見の違いに拘ることがなくなります。
悩みごとというのは、すべて「執着」から生まれてくる。心の中にどうしても手放したくない「欲」があるから。自分でもまったく気がついていない執着もたくさんある。必要のない物まで買い込んだり、捨てられなかったりするのは、物に執着しているから…本書では、欲、自分の意見、習慣、自分はいる、という四種類の執着をすべて手放すことをめざすそうです。
「あなたが必死にしがみついているものは何ですか?社会的地位ですか?お金ですか?家族ですか?それとも、仕事でしょうか?世間からの称賛でしょうか?若さでしょうか?」
私は、もうそんなものを、とっくに諦めたつもりでしたけど、自分の考え、自分に対する愛着も「欲」であるとするならば、年々しがみつく強さが増しているような気がします。「いかなる悩み苦しみであっても、不平不満であっても、愚痴であっても、私(自我)があるから起こるのです」と言われてしまうと、「仰る通りだと思います」と言わざるを得ません。さて、どうやって捨てる?
この歳になって、お釈迦様の教えを知り、自分を苦しめているのが、自分の煩悩であるということを認めることができました。そして、煩悩を叶えようとすることよりも、煩悩を客観的に見詰めるという方法が、心を静めるために、有効であると分かりました。
「あなたが必死にしがみついているものは何ですか?社会的地位ですか?お金ですか?家族ですか?それとも、仕事でしょうか?世間からの称賛でしょうか?若さでしょうか?」
私は、もうそんなものを、とっくに諦めたつもりでしたけど、自分の考え、自分に対する愛着も「欲」であるとするならば、年々しがみつく強さが増しているような気がします。「いかなる悩み苦しみであっても、不平不満であっても、愚痴であっても、私(自我)があるから起こるのです」と言われてしまうと、「仰る通りだと思います」と言わざるを得ません。さて、どうやって捨てる?
この歳になって、お釈迦様の教えを知り、自分を苦しめているのが、自分の煩悩であるということを認めることができました。そして、煩悩を叶えようとすることよりも、煩悩を客観的に見詰めるという方法が、心を静めるために、有効であると分かりました。
考えない練習
・よけいな考えごととは、後悔や憂い。今考えてもどうしようもないことなので、後悔は教訓に、憂いは目標に変換して、今を精一杯生きることが大切です。そして焦ってはいけません。周囲の目を気にせずに…
いつもよけいな考えごと、とりわけネガティブな考えごとに支配されている母のために、と買った本でしたが、自分が先に読み始めてしまったら、自分のためにこそなる言葉に溢れていたので、母の分は、もう一冊買いました。「慢」とは、良く思われたいといった自己の評価を気にし、プライドにしがみつく「欲」の煩悩のうちのひとつです。とか、怒りの発散を繰り返すことによって、怒りを表に出しやすい直感的な性格に近づいてくのです。など、耳の痛いことばかりですが、そんな間違った方向に暴走する自分に急ブレーキをかけるために、考えない練習を!
よけいな考えごととは、いわゆる「煩悩」なんですよね。後悔、憂い、いずれも、今考えてもどうしようもないことなので、後悔は教訓に、憂いは目標に変換して、今を精一杯生きることが大切です。そして焦ってはいけません。周囲の目を気にせずに、マイペースで進みたい。
取引先から頼まれた仕事を理解しようとすらしないまま丸投げしてくる同僚に腹を立てている自分がいる。まず、自分が少しでも理解しようとすることが、当然のことだと思うからです。相手のことを考えることは、簡単なようで中々難しい……
よけいな考えごととは、いわゆる「煩悩」なんですよね。後悔、憂い、いずれも、今考えてもどうしようもないことなので、後悔は教訓に、憂いは目標に変換して、今を精一杯生きることが大切です。そして焦ってはいけません。周囲の目を気にせずに、マイペースで進みたい。
取引先から頼まれた仕事を理解しようとすらしないまま丸投げしてくる同僚に腹を立てている自分がいる。まず、自分が少しでも理解しようとすることが、当然のことだと思うからです。相手のことを考えることは、簡単なようで中々難しい……
空海と最澄はどっちが偉いのか? 日本仏教史 七つの謎を解く
空海と最澄はどっちが偉いのか? 日本仏教史 七つの謎を解く (知恵の森文庫)
- 作者: 島田裕巳
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/01/11
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これからの日本を下支えする哲学・思想として、それぞれの宗派の良いところを統合した「仏教」が最適なのではないか?という気がしてくるのですが、日本人の仏教離れが進んでいるので、難しいかな(・・?。
空海が唐から戻ってきた後、最澄が空海に密教について教えを乞うという出来事が起こります。空海よりも年上で、超エリートであるはずの最澄が、空海に頭を下げて教えを求めたのです。ここで、最澄と空海の立場が入れ替わっています。
最澄が開いた天台宗では、密教に関しては遅れをとってしまったため、最澄の後に続く弟子、円仁などは唐に渡って十年かけて密教を学び、密教についても空海に匹敵するようなものを持ち帰りました。」
私が読んだ本によると、空海は、事前に身につけた教養によって運を味方につけ、時には強引とも言える方法で影響力を得た人で、最澄は、謙虚で真摯であるがために、求心力という点では後塵を浴びてしまったという印象です。
仏教を学んでいると、これからの日本を下支えする哲学・思想として、それぞれの宗派の良いところを統合した「仏教」が最適なのではないか?という気がしてくるのですが、日本人の仏教離れが進んでいるので、難しいかな(・・?。
空海入門
・空海が恵果から教えを受けたのは、たった半年の期間でしたが、1200年経った今でも、語り継がれていることが驚異です。
弘法大師空海の著作を、多くの人々が理解できるようにしたいと、正確な現代語に訳してこられた、加藤精一さんによる『空海入門』。
最澄と空海というかたちで、並べて語られることの多い弘法大師空海ですが、その生涯を知ると、大日如来のお導き、としか言いようのない強運を、時として強引とも言える説得力で引き寄せた人だったんだなぁ~と思います。
恵果から灌頂を受けた教えを更に推し進め、広めていきたい。目的を達成するための影響力を得るためには、時勢を読み権力を味方につけることも必要なのですが、少なくとも空海が達成しようとした目的は、世の中の全体最適を目指したものであったということが、現代の為政者と違うところだと思います。
荷車ぐらいはあったかもしれませんけど、自動車がなかった時代。帆船はあったかもしれませんけど、飛行機はなかった時代。弘法大師空海は、自らの脚で大地を踏みしめ、時間をかけて旅をすることで、多くの偉業を成し遂げました。
最澄と空海というかたちで、並べて語られることの多い弘法大師空海ですが、その生涯を知ると、大日如来のお導き、としか言いようのない強運を、時として強引とも言える説得力で引き寄せた人だったんだなぁ~と思います。
恵果から灌頂を受けた教えを更に推し進め、広めていきたい。目的を達成するための影響力を得るためには、時勢を読み権力を味方につけることも必要なのですが、少なくとも空海が達成しようとした目的は、世の中の全体最適を目指したものであったということが、現代の為政者と違うところだと思います。
荷車ぐらいはあったかもしれませんけど、自動車がなかった時代。帆船はあったかもしれませんけど、飛行機はなかった時代。弘法大師空海は、自らの脚で大地を踏みしめ、時間をかけて旅をすることで、多くの偉業を成し遂げました。
ブッダが教える意志力の鍛え方
この年になって、仏教を学んで、到達しつつある結論と、この本に書かれていることは、かなり重なっているんです。
だらしない生き方を改めることを目的として努力する…脳が「その目的に挑戦することは価値がある、有意義である」と理解して納得すると、脳は瞬時に優先順位を判断でき、挑戦することが苦行ではなく、おもしろさに変わる。すると、怠けるとかサボるということがなくなります。
生きるということ、人生を愉しむということは、楽をするということではなく、成長し続けるということを誓うこと、但し、何処を目指すのか、ということは、その時々で可能な限り明確にするために、自問自答を続けなければなりません。そして、目標を絞り込み、手段を精査して、邁進しなければならないのです。
目標を達成できそうもない、と思ってしまうと、チャレンジすることを諦めてしまいがちですが、たとえ目標を達成できなかったとしても、周囲に与える影響は少なからずあるので、努力はムダにならないとのことです。信じる者は、救われるのでしょう。
老いを自由に生きる~とらわれない・持たないブッダの智慧
老いを自由に生きる~とらわれない・持たないブッダの智慧~ (だいわ文庫 B 176-2)
- 作者: アルボムッレスマナサーラ
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2015/03/12
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世界を救えるのは、仏教的な考え方かも?
中国を経由して日本に伝わったのは、お釈迦さまが亡くなってから数百年後に成立した大乗仏教でした。一方、本書で伝えられるのは、お釈迦様の時代から伝えられたバーリ語(古代インドの言葉)の経典を元にしているテーラワーダ仏教です。お釈迦さまが説いたのは「どう生きればいいのか」という、人間なら誰もが抱く疑問に対する答え、私たちがよりよく生きるための智慧なのです。仏教では「幸せになるには身体の健康ではなく、まず心の健康を追求しないさい」と教えるそうです。ありのままの自分を受け入れ、無理のない人になりたいものです。
この年になって、仏教を学んで、到達しつつある結論は、生きるということは、成長し続けることを誓うということ、但し、何処を目指すのか、ということは、その時々で可能な限り明確にする必要があります。そのために、自問自答を続けなければなりません。そして、目標を絞り込み、手段を精査して、邁進しなければならないのです。
この年になって、仏教を学んで、到達しつつある結論は、生きるということは、成長し続けることを誓うということ、但し、何処を目指すのか、ということは、その時々で可能な限り明確にする必要があります。そのために、自問自答を続けなければなりません。そして、目標を絞り込み、手段を精査して、邁進しなければならないのです。
ブッダをたずねて
この『ブッダをたずねて』では、ゴータマ・ブッダの生涯を紀元前463年頃に生まれ、紀元前383年頃没という説が有力だとしています。ドイツの哲学者K・ヤスパースは、ゴータマ・ブッダ、ソクラテス、孔子、イエスを含む時代を『枢軸の時代』と名づけました。この四人の巨人は、人間一人ひとりがかけがえのないものであると主張したのです。「人間には親族や仲間がいます。しかし、誰もが一人ひとりの生を生き、そして一人で死んでいかなければならない」という個々人の魂の救済をどうするのかという問題を、ブッダ、イエスたちは扱ったのです。
高野山への旅の切っ掛けに始まった、空海の探求というマイブームも、段々盛り上がってきました(^^ゞ 1200年もまえの出来事ですから、多くの学者が研究していても、記録の解釈は、それぞれの知識の深さや広さに左右されるでしょうし、当然、同じような研究をされている他の方の影響を受け、引用する場合には、誇張されることも、逆に矮小化されることもあるでしょうし……。まずは、ブッダのことを知らないとね(^^♪
高野山への旅の切っ掛けに始まった、空海の探求というマイブームも、段々盛り上がってきました(^^ゞ 1200年もまえの出来事ですから、多くの学者が研究していても、記録の解釈は、それぞれの知識の深さや広さに左右されるでしょうし、当然、同じような研究をされている他の方の影響を受け、引用する場合には、誇張されることも、逆に矮小化されることもあるでしょうし……。まずは、ブッダのことを知らないとね(^^♪